皆様おはようございます。
今日は少し曇っておりますが、空が明るくなるのが早い気がしました。
皆様いかがお過ごしですか?
私はとうとう行ってきました。
THE FIRST SLAM DUNK
スラムダンクを漫画もアニメも見ていなかったという店長が涙腺崩壊したとのことで
どこで泣けるのかを検証しに行ってまいりました。
私は漫画のスラムダンクがスタートした1990年は10歳でした。
影響を受けて育成会のバスケットクラブに所属しました。
アニメ「スラムダンク」放送当時12歳。
私は半年くらいでバスケを辞めておりました。
試合で人とぶつかるのが嫌なのと、朝練や放課後にバスケするほどバスケは好きではないという事が分かったからです。あと、教え方が屈辱的なので嫌になってやめました。
何故、皆の前で怒鳴られなくてはならないのか。
バスケごときで人生を解くなよ。
大人に怒っていたのです。
子どもの私にとっては1mmも楽しくなかったし、漫画と現実は違うんだという事を学びました。
現代的な感覚では完全にアウトな指導方法や社会通念で育ってきてしまった40代50代が会社で主要なポジションを任される年齢だと思うとまだまだパワハラもセクハラも撲滅できそうにありません。
私的にはバスケットボールクラブによってスポーツ全般にトラウマを抱える事となったのです。
偉く辛い思いさせれるだけさせられて、残ったのは運動部の顧問という人間は自分の価値観押しつけて来るので危険な大人だ。と、いう事だけです。
私が通った小学校には安西先生はいませんでした。
最悪です。
初めてバスケを教えてくれたのがスラムダンクであり、半年間色々嫌な思いをして退会するという挫折を知るキッカケを作ってくれたのもスラムダンクなのです。
なのでバスケットボールクラブを辞めると同時にスラムダンクへの熱も次第に冷めていきました。。いや、バスケへの熱と言っていいでしょう。
何故ならそこから中学生になった私は、空前絶後のオタク活動をするのです。
当時は腐女子という言葉がまだなく、801(やおいと読みます。作品に山場やオチ、意味のない“やまなし・おちなし・いみなし”を指す言葉と呼ばれるボーイズラブ系の漫画を指す言葉で20代には通じないそうです。)を好む腐女子になっていたのです。
B-BOY(HipHop系のファッションをする男の子の意味)≦BE-BOY(当時創刊されていたボーイズラブ専門のコミック雑誌)なのです。
ヲタ活を私に教えてくれた友人はコミケやまんだらけにも連れて行ってくれました。
そうして同人誌というものに出会ったのです。
そうです、ここで私はスラムダンクを腐女子な目線で鑑賞するという事を覚えたのです。
赤木×小暮
桜木×流川
こういう表記に胸躍るのであります。
誰が攻めで受けなのかで一日中妄想して暮らしておりました。
当時の私は声を聴くだけで声優さんの名前が分かるという能力も発揮しておりました。
話がそれました。
映画版「スラムダンク」
作者が原作・脚本・監督を務めているので作者が現在、観客に見せたいモノ100%を見させていただいたのだと思っています。
「シン・スラムダンク」
という印象です。
私の中では流川楓は緑川光さんだし、桜木花道は草尾毅なのです。
ビジュアルがめちゃめちゃかっこよくアップデートされていてので眼福でした。
私にとってスラムダンクは子供の頃の私を思い出させるスイッチだったのかもしれません。
昔の自分に言いたいです。
「勉強しろ。自立を目指せ。」
来世はキチンと勉強して海外留学とかする頭のいい子になりたいです。
そんな私は来週42歳です。
全然思ってたんと違う人生です。
これまでもこれからも思い通りにならない時間の連続を生きていきます。
それではまた来週✋